歴史とモダン
「ぶらり歩き一本杉通り」
七つ橋渡り
九曜高校の伝説。想い人と無言で御祓川の7つの端を渡りきると両想いになれるという
※金沢で伝わる、浅野川に架かる七つの橋を一筆書きのよう無言で巡る習俗に倣ったという。
尾湾橋
カモメの街灯がモチーフ、食祭市場に近く、花火が近くで見れます。
慶応橋 (かざりの橋)
七尾は、畠山文化に基づく和の要素と合わせて、新しい風が舞い込む港町としての歴史を持ちます。
尾湾と富山湾を見下ろす七尾城跡からは、七尾の風景を彩ってきた城山の尾根が連なります。この自然をかざりととらえ、高欄に能登島で制作されたステンドグラスを設置し、「七尾」の地名の由来となった七つの尾根を表しました。 ※ななおの由来
日本で最大規模の山岳城「七尾城」が築かれていた城山に七つの尾根(松尾、竹尾、梅尾、鶴尾(菊尾)、亀尾、竜尾、虎尾)があったのが「七尾」の名の由来とされています。
【出典】七尾市HPより・「七つ尾」七尾城址文化事業団発行
尾湾橋
長生橋 (かおりの橋)
京文化の影響が色濃い当時は、香道の文化が栄えました。十月三十日の「香りの記念日」は、七尾が発信地となり制定されたものです。
橋の高欄には香炉を取り付けて香りを楽しむことができるようになっています。また、手すりには御祓川源流域に生息する良い香りのすろ江曽アテが使われており、川ととしてのつながりを表しています。
~旧長生橋~
旧長生橋は、日本で最初のプレストレスト・コンクリート(FC橋)として昭和二十七年二月に完成。平成十四年四月に現在の橋に架け替えられるまでの約五十年間、市民の生活を支えてきた旧橋は、市内の希望の丘公園はで歩道橋として現在保存されています。
※http://www.ars-c.co.jp/technical/2015/02/post-6.html
泰平橋(たいへいばし)(あかりの橋)
七尾は和ろうそくの産地であり、その技術は現代にも連綿と受け継がれています。この橋はろうそくを灯すことができる燭台を設置し、暖かいあかりの演出が可能なしつらえになっています。また、高欄の手すりには県木であるアテ材を用い、能登の自然を取り込んでいます。
泰平橋(たいへいばし)(あかりの橋)
七尾は和ろうそくの産地であり、その技術は現代にも連綿と受け継がれています。この橋はろうそくを灯すことができる燭台を設置し、暖かいあかりの演出が可能なしつらえになっています。また、高欄の手すりには県木であるアテ材を用い、能登の自然を取り込んでいます。
仙対橋 (まつりの橋)
毎年五月に行われる青柏祭は、千年以上の歴史を誇ります。曳き出される三台の山車は、「でか山」と呼ばれ、大地主神社に奉納された翌日に、この仙対橋で揃い踏みします。昔の仙対橋は太鼓橋であったため、でか山が渡るときは命がけで「橋舞い」と呼ばれる祭一番の見所でした。時を超えて、御祓川(みそぎがわ)に映えるでか山の姿はたいへん勇壮なものです。
亀橋
郵便局前に架かる橋。江戸時代、郵便局付近には所口町の政務を行う町会所まちかいしょがあった。郵便局の南側に市立図書館と税務署があった。大手町銀座の区画整理に伴い、銀座の飲食店が一時期税務署跡地に集められた。 写真は海方面ではありませんが、港方向なら夏の花火は御祓川の水面に映えます。
※港まつりの花火 2022.07.17
学校橋
御祓小学校(現・小丸山小学校・小島町移転)がこの地にあり、その名残として学校橋と名がついている。