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花嫁のれんに託す思い

愛娘を嫁がせる親の思い、
切なさを隠し、のれんに託す。

娘の旅立ち

結婚当日、婚礼衣装を身に着けた花嫁は、生家の仏壇を参ったあと、両親に別れの挨拶を行い、玄関からではなく縁側から旅立つことになります。

縁側から旅立つのは、この家と縁が切れ、再び生家には戻らないとの意味があります。まさに覚悟の旅立ちなのです。

縁側からの旅立ちを行うのは、婚礼と葬儀の2回だけです。

合わせ水

花嫁は婚家の家に着くと、敷居をまたぐまえに、生家の水と婚家の水を合わせた水さかずきの儀が行われます。

親代が素焼きの盃に水を注ぎ、花嫁に飲ませたあと、盃を土間に投げつけて割ります。花嫁が生家に戻らないという意味合いがあります。

花嫁のれんくぐり


合わせ水が済むと茶の間に上がり、婚家の亭主役(親戚代表)に挨拶した後、花嫁は手引きの子どもに引かれ生家の用意した花嫁のれんをくぐり仏壇のある部屋に入りました。


「のれんを吊らにゃ入れん」「のれんをくぐらにゃ嫁になれん」とされ、生家にのれんを忘れてくると、届くまで玄関で待たされました。このため、何を忘れても「のれん」をだけは忘れるなと気を張ったものでした。


花嫁のれんは、生家の家紋を配し、婚家の家風になじみますとの意味合いをもち、嫁入りの象徴でした。


結婚式が済んだ後、祭りの際に掛けられる地域もありますが、ほとんどの家では箪笥の奥にしまわれ、一生の中で一度だけ使われる婚礼道具が「花嫁のれん」でした。

母の花嫁のれん  

 

平成16年、一本杉通りで花嫁のれんを飾ることになったとき、母房子と一緒に土蔵に入り64年間一度も開けたことがなかった桐箪笥の前に坐りました。私は引き出しを開け初めて目にした母の花嫁のれんに何か不思議な感動を覚えました。母はのれんを手に取りしばらく感慨深げに眺めていました。そして当時の婚礼の様子を語り始めたのです。

大正7年生まれの母は21歳で中能登町の金丸から一本杉の高澤勇吉商店に嫁いで来ました。当時の適齢期は18歳から20歳過ぎで、女の子が生まれると中学校に入る前からお嫁入りまでの間に花嫁衣裳を少しずつ準備していったそうです。娘に恥ずかしい思いをさせたくないという親心だったのだと思います。

母の生家は能登上布の糸問屋でした。仕事柄、京都や東京日本橋に生糸を仕入れに回っていた父親(私の祖父)が娘のためにと各地で品定めし白生地を準備していったそうです。

集めた白生地を加賀染にして羽織やのれんに仕立てました。母の花嫁のれんの茶色と紺色は今では顔料が手に入らなくなり、同じ加賀染でも同じ色のものはもう出来ないそうです。

普通、花嫁のれんは嫁ぎ先の仏間に掛ける一枚を持参するのですが、母は仏間、寝室、夏のれんと三枚の暖簾を持参していました。

母の嫁入りは能登部駅から列車で七尾駅まで来て、そこから一本杉まで花嫁道中で歩いたそうです。人足を雇い長い行列だったと言います。

高澤勇吉商店は塩の専売やラムネの瓶詰め、こんにゃくの製造等々幅広く商いを手がけていたので、その取引先の御招待などで婚礼は三日三晩続いたそうです。

一番客、二番客、三番客それぞれに御招待客が異なり、花嫁衣裳も初日は黒、二日目は白、三日目に赤を着たそうです。衣装に描かれた鶴も、初日が五羽、二日目は三羽と減っていくという趣を凝らしてありました。

当時の結婚は恋愛ではなく、家と家、親と親で話を決めるというものでしたから、結婚式当日まで相手の顔を知らなかったと言います。

長男に嫁いだ母ですが、父は男6人、女4人の10人兄弟で、家には9人の小姑が住まいしていました。また高澤家では、2人の身寄りの無い子を引き取り、住み込みさせて学校を出させています。そんな環境の中、母はどんな思いで過ごしていたのかと思いますが、母から一度も愚痴を聞いたことはありませんでした。

それは高澤家の兄弟姉妹みんな仲良く、いつも協力し合っていたからです。

母は父の兄弟姉妹のお世話をするのですが、その兄弟姉妹がまた母の手助けしてくれていたのです。母は6人の子供を生みました。私が上から2番目でしたが、幼い頃同居のおばさんにおんぶされて馬出の弘法湯の川に洗濯に連れていかれた記憶があります。

私が20歳の時、父が国政選挙の応援弁士として一本杉で演説中に倒れそのまま帰らぬ人となりました。50歳でした。母と幼い子どもたちが残されましたが、駅前でうどん屋をしていた叔父さんが面倒を見てくれました。

母は93歳で鬼籍に入りました。

私は近所に嫁いだので近くで母を見てきましたが、母の泣いている姿を見たことがありません。思えば辛い事や苦しいこともあったはずですが、目の前のやらなければならない事を、しっかりとやり抜いて生きて来た一生だったように思います。

一本杉通りで花嫁のれん展が開催されることを機に、箪笥に眠っていた母の花嫁のれんが日の目を見ることになり本当に良かったと思います。花嫁のれん展では、毎年お店の2階に、花嫁衣裳と共に展示して見に来てくださる方に説明をさせて頂いていますが、私には、母が嫁いだその日からの、楽しかった事、辛かった事、母の生涯が母の思い出と共にこの花嫁のれんに染込んでいるように思えるのです。

松本佳子

 

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